ミニ講話 宮司のいい話
NO.207  神社の設備と作法
     鳥居・手水舎・灯籠・狛犬

     神社といえば、まず鳥居が頭に浮かんでくる方が多いと思います。地図にも神社の存在は鳥居で示されているように、鳥居は神社の象徴となっています。一般には神社の参道の入り口に立つ一種の門と考えたらいいかと思います。神社の境内に入るための門ですので、そこからは聖域となります。よその家へ伺うと玄関で挨拶をしますが、同じように神様にご挨拶をする意味で鳥居の前で一礼をして出入りするといいですネ。

     一つの神社に二つ以上の鳥居がある場合は、一番外側にあるものを一の鳥居と言い、神社に近づくにしたがって順に二の鳥居、三の鳥居と呼んでいるのが普通です。鳥居という語源については、「通り入る」が転化したものといわれています。また、天照大神の岩戸隠のとき、ニワトリを止まり木にとまらせて鳴かせたところから「鳥が居る」ということで「鳥居」ともいわれています。

     鳥居を抜けますと次に手水舎があります。古くは神前に流れている川で手を洗い口をすすいだりして清めたといいます。この形がそのまま残されているのが伊勢神宮です。ここでは五十鈴川にある手洗場で清めるようになっています。神前に清流のない所では、社頭に手水舎を設けて手洗場にしています。手水舎は「ちょうずや」とも「おみずや」とも言います。

     手水の作法は、まず右手で柄杓に清水を汲みその三分の一の水にて左手を清めます(@)。次に柄杓を左手に持ちかえ同様に右手を清めます(A)。再び柄杓を右手に持ちかえ、左の手のひらに水を受け口をすすぎます(BC)。この時、柄杓に直接口をつけるのは良くありません。口をすすぎ終わって、新たに清水を受けて、もう一度左手を清めます。最後に柄杓を立て残った水で柄杓の柄を清めてから、元の位置に伏せて置きます(D)。口をすすぐのは身体の内を清め、手を洗うのは身体の外を清める意味です。

     御本殿に着くまでには、灯籠や狛犬が目に止まります。灯籠は何のためにあるのでしょうか。本来の目的は照明のためのものです。電灯のなかった昔は、交通安全のためや、交通路の照明あるいは道しるべの役割を果たしていたのです。現在は神様に灯明を献じて感謝を捧げたり、一家の繁栄やさまざまな記念として灯籠を献じます。

     狛犬は、神社の守護、魔よけのために神社の入口あるいは拝殿の前などに置かれた一対の獅子形の像です。獅子は古来百獣の王とされ、神域の邪気を払うとされてきた獣です。狛犬は朝鮮の高麗を経て日本に伝えられたのです。日本人が初めて見た狛犬は、今まで見たこともない不思議な動物だったのです。これはいったい何だろう、犬のようではあるが日本の犬とは違うというところから当時の人達は、これはたぶん高麗の犬だろうと考え、高麗犬と名づけたのです。のちに狛犬の字をあてるようになりました。

     狛犬は普通、二匹が一対になっていて、「阿吽」を表しています。神前に向かって右側にある口を開けている方が「阿」、左側の口を閉じている方が「吽」です。阿吽は吐く息と吸う息を表していて、「阿吽の呼吸」などと言われるように、両者一体となって、邪気を入れないように守護しているという意味です。狛犬は犬とは限らず、稲荷神社ではキツネであったり、全国の神社の中にはウサギや狼、珍しくはカッパなどもあります。

     心身を清め、心静かに参道を歩いていますと、いよいよ御本殿に至ります。御本殿の中には、ご祈祷を受けたりする所の「拝殿」があります。拝殿の前には普通賽銭箱が置いてあり、そこで一般の参拝者はお参りをします。拝殿の前でお参りをする所を「向拝所」といいます。

     賽銭・鈴・参拝作法

     お賽銭は神社やお寺に拝礼するときにお礼のためにあげるお金のことです。ですからお賽銭の風習が始まったのは、お金(貨幣)が流通するようになった頃からです。それ以前には賽銭に相当するものとして、参拝者はお米を紙に包んで神様に捧げていました。そのなごりとして、今でもお賽銭を紙に包み「おひねり」にして賽銭箱に入れられる人もいます。お賽銭は供物の一種で神に奉献する物の意味と、罪けがれを祓い清める科料としての意味があります。最も省略した形の神への捧げ物といえます。お金をあげれば御利益があると考えるのではなく、神の御守護に対する感謝の気持ちを表すためのお礼としての考えを忘れないようにすることが本義です。賽銭箱を置いていない神社では、お賽銭を直接拝殿の中に投げ入れて参拝してもよろしいのです。

     次に、賽銭箱の上に鈴が掛けられ、鈴緒が下がっている神社が多いと思います。鈴を鳴らすのはお祓いの意味があります。鈴の本来の目的は楽器として作られたものですが、日本では楽器としてのほか、魔よけの霊力があるとされ、それが転じて神を祭るときに鈴が振られるようになったのです。神社で打つ太鼓も同じように考えられます。これは音によるお祓いなのです。音によって魂を振り起こし、魂の再生を図るのです。

     神社での参拝は、心身を正し、清い心で神様をお参りすればそれでよいのですが、形に表すことも大事なことです。そのための一定の作法があります。その作法を覚えておくことも必要です。神前での参拝は基本的に「二拝二拍手一拝」の作法で参拝します。神前に立ちましたら、神様のおそばに寄らせていただいたご挨拶として軽くおじぎをします。それから深々と頭を二回下げます。次に胸の高さで両手を合わせてから、二度拍手をします。その時、なるべく木をたたくような澄んだ音が出るように心掛けて手を打ちます。次に、再び胸の高さで両手を合わせ、祈念致します。次に、深々と頭を下げて一拝します。最後に軽くおじぎをして神前を去るためのご挨拶をして終わります。この参拝方法は神社ばかりでなく、家庭の神棚の作法にも使います。出雲神社系統の神様の前では二拍手ではなく四拍手を打ちます。

     話は変わりますが、三世紀頃の日本の風習を記録した、中国の『魏志倭人伝』によりますと、日本の風習として、貴き人に会うと手を打ちぬかづいて頭を下げ挨拶をすると記録されています。手を打つことは武器を隠し持っていない証拠として手を打ち、頭を下げぬかづくことは無防備として攻撃心のないことを表現し、心から敬う態度を表しています。こうした相手を敬う表現が今日まで残されているのが神社での参拝の姿なのです。又、赤ん坊がとても喜ぶとき、教えもしないのに手をたたいて喜びます。これは喜びの表現の自然な姿だと思います。こうした喜びの拍手を添えることが敬礼作法の最上の姿として神社参拝の作法に残されているのです。

     御神鏡・内陣・御神体

     神社には、たいがいご神前に御神鏡があります。家庭の神棚にもお扉の前に御神鏡を置きます。何故神様には御鏡が付き物なのでしょうか。それは、御神鏡を通して神様を拝むという意味での神具だと考えられます。それと同時に拝む人の立場からすれば、鏡と対面することによって自分の姿をも映し出すということになります。清らかな心で神様と向かっているだろうかと自分の心を振り返り、心を正してお参りしようとする心構えをつくるための物でもあるのです。

     又、御鏡は三種の神器の一つです。三種の神器とは、神話の中で天照大御神様の御孫、瓊々杵尊様が地上にご降臨されるとき、天照大御神様より授けられた物と伝えられる、八尺瓊勾玉と八咫鏡と草薙劔の三つのことで、天皇がご即位される時に受け継がれるものです。八尺瓊勾玉は宮中に安置されています。八咫鏡は伊勢神宮の御神体となっています。草薙劔は素戔鳴命様が八岐大蛇を退治したとき、その体内から出たといわれるもので、熱田神宮の御神体となっています。三種の神器は神の象徴なのです。三種の神器の「鏡」は知恵を意味し、「玉」は慈悲を意味し、「劔」は勇気を意味します。この三つが三位一体となって、「知・仁・勇」の三徳を意味しているのです。

     次に、御神鏡の後ろにはお扉があります。このお扉は神社で一番大きなお祭り、大祭の時にだけ開かれます。お扉を開けるとすぐに御神体が祀られている神社と、更に奥にもう一つお扉があってその奥に御神体が祀られている神社とがあります。御神体の奉安されている所を内陣といいます。内陣の手前にもう一つ部屋がある所を外陣といいます。外陣は大祭の時にお供物を供える部屋です。外陣と内陣のある神社では、奥にある内陣のお扉は神様をお移し申し上げる以外は開けられることのないお扉です。

     それでは、内陣に奉安されている御神体とはどのような物でしょうか。御神体は神霊ののり移っている神聖なものとされています。

     古くは自然の山であったり、特殊に大きな岩や石であったり、あるいは巨木などを神としてあがめていました。今でも奈良県の大神神社のように御本殿がなく山を御神体としている所もあります。神社に一般に社殿が造られるようになると、御神体も大きな物でなく室内に納まるような小さな祭祀具や御祭神に由来する物などが祀られるようになってきました。たとえば、玉や鏡や剣、あるいは弓や矢や矛や鈴などです。平安朝時代の中頃からは神の姿を彫刻や肖像画として具体化し、御神像として神を表現するようになってきました。いずれにしろ、御神体とは神霊の宿る依り代としての神の座と考えることができます。

     玉串奉奠・のし袋の書き方・おみくじ

     神社で厄祓等のご祈祷をしたり神前結婚式を挙げたりすると必ず玉串奉奠をします。榊やオンコ(いちい)等の常緑樹の小枝に紙垂や麻を取り付けた物を神様に謹んで奉る作法です。玉串を奉る意味については、木は神霊の宿る依代と考えられますので、転じて、自分の真心を玉串に宿して神様に伝える物であるとか、玉串は神様に捧げる金品を象徴したお供え物である等の説があります。いずれにしても、玉串は神様に捧げる自分の真心を示した物です。玉串を神様に奉る一般的な作法としては、まず、神職から玉串を受け取るとき、右手で玉串の根元を持ち、左手で玉串の穂先の中ほどを持って両手で受け取ります(@)。そして、胸の前にやや左高に持ち構えます。次に、神前の机(八足案)の前に進み、軽く一礼します(A)。次に、玉串の根元を神様に向けて机の上に奉ります。その際の作法は、胸高に持った玉串の根元を手前にひき、一度玉串を立てて(B)、左手を玉串の根元にすり下げ(C)、左手で玉串を「の」の字なりに回して穂先を右手に移し(D)、両手を添えて根元を神前に向け机の上に奉ります(E)。次に、二拝二拍手一拝(参拝作法参考)をして(F)、軽く一礼ののち神前を退きます。

     神社や神主に差し上げる「のし袋」の上書きには「玉串料」と書きます。その他の書き方としては、「初穂料」とか「幣帛料」があります。初穂料とは最初に稔った稲を神様にお供えする意味であり、幣帛料とは神様の衣類を作る布を意味します。いずれにしましても感謝の気持ちとしての品物をお供えする代わりに、お金でお供えさせていただくという意味です。

     次におみくじについてお話しします。おみくじは神様から直接いただけるお知らせです。ですから、ただなんとなくおみくじを引くのではなく、何をお知らせして欲しいかを念じてから引かなければなりません。今年一年間の運勢なのか、今日一日の運勢なのか、病気のことなのか、恋愛問題のことなのか、学業のことなのか、何を知らせて戴きたいかを念じてから引くのです。不思議と自分の状況に合った内容のおみくじが引かさります。おみくじには大吉とか末吉とか色々ありますが、吉と凶が基本となります。ですから吉と凶を中心として順番を考えますと、一番良いのが大吉で、次に中吉・吉・小吉・末吉となり、悪い順番は大凶・中凶・凶となります。地方によって順番が違う所もあります。おみくじは境内の木やおみくじを結ぶ場所に結んで帰られる方が多いのですが、神様からのお知らせですので、折りにふれて読み返し、腹構え、気構えをそのつど肝に命ずるといいので、大事に持ち帰った方が本来は良いかと思います。しかし、生命力のある木の枝に結ぶことによって、その生命力にあやかって願いが結ばれるとか、神様にご守護いただけるように結んで帰るなど、民間の風習も根強く残っています。ただおみくじを結ぶと木が大変痛んでしまいますので、結ぶ場所を設けている場合はそこに結ぶようにしましょう。

    参考:阿部正路著「神道がよくわかる本」PHP研究所 



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