ミニ講話 宮司のいい話
NO.172  オジサン達の富士山登頂記
     平成十四年七月十七・十八日と富士登山をしました。神道大教青年会の総会で、私が会長に任命された時、目標の一つとして、青年会での富士登山を提案しました。「一生に一度は登ってみたい富士山」「日本一の山」「霊峰富士」、神職として是非富士山登頂を体験したかったのです。

     参加者をつのり、七名で登山を行うことになりました。私は身長百七十センチで体重が百キロ近くあります。誰もが、富士山は無理でしょうと言いました。当時、年齢は四十九歳でしたので、今登らなければ一生登れないと思い、「何としてでも山頂へ行くゾー」と一人、心の奥底で決心しました。

     しかし、私はほとんど登山の経験がないのです。若い頃に千メートル位の山に登っただけです。言い出しっぺの会長が途中下山では格好がつきません。自転車こぎの健康機で足腰を鍛え、汗を流しました。体重は三キロ減りましたが、その先が中々やせられません。大好きな酒を断ち、二十一日間の富士登山成功祈願を始めました。

     当日、私たちは新宿駅に朝七時三十分集合。中央道で富士山五合目まで、ツアーのバスで行きました。参加者は女子大生の組や、七十歳前後の老夫婦など、夫婦同伴の方々も多く、我々は男性としては若い方でした。

     ところが、参加者七名のはずが、青年会副会長、福岡のヨッちゃんこと長元祥泰君が体調をくずしてしまい、登山は無理ということで、五合目で見送り役に回りました。いよいよ富士登山開始の時間となった時、さっきまで好天気だったのが急に大雨となり、山の天気の変わりやすさにはビックリしました。チーム最高齢七十八歳の青年会顧問、大阪の尾立聖兆先生(現神道大教十一代管長)は、やる気満々の重装備で臨みましたが、悪天候のため、添乗員に説得され、大事を取ってやむなく登山を断念され、ヨッちゃんと共に五合目で見送り役となりました。

     かくして、山頂を目指す我がチームは、青年会前会長、山形のモッちゃんこと菊池元宏先生、還暦を記念して参加された仙台の堀川秀夫先生。この二人は後に大活躍をされます。詳細は後述。次いで青年会副会長、東京の永澤穣先生。青年会事務局長、埼玉のシンちゃんこと冨田信太郎君と私の計五名となりました。

     大雨の最中でしたが、風は強くなかったので、ツアーの道案内人の判断で登山の開始となりました。背中には水や着替を詰めた十二・三キロ位のリュックをしょい、右手に杖を持っていざ出発です。最初はゆるやかな勾配を二十分位歩き、次いで火山灰と石のジグザグの坂道を、三十分に五分程度の休憩をとりながら三時間ほど歩きました。急勾配ではないので、足の負担もさほどなく、全員順調に八合目の山小屋『東洋館』に到着しました。道中はずっと雨でしたので、服はベチャベチャにぬれており、雨がしみたのかなーと思いましたが、実際は汗でした。山小屋の寝室はうす暗く、ふとんには敷布もカバーもなく、万年ぶとんでしめった感じがしました。だだっぴろい二階建ての寝室に、男も女もなく次々と体を交互にして寝かされます。つまり隣の人の足が私の頭にある訳です。そうしなければ大勢の人が寝られないからです。一枚のふとんに二人寝ます。ひどい時は、体を横に起して、一枚のふとんに三人寝るそうです。何だか人間扱いされていないような気になりました。

     四時間ほど仮眠をとり、午前零時に山頂の御来光を目指して『東洋館』を出発。全然眠れなかった人や、疲れ果ててしまった人達など、十一人が東洋館でリタイヤしました。真夜中、頭に懐中電灯を照らして登って行きます。今度は火山灰と違って、ゴツゴツとした岩を大股で登らなければならない険しい岩登りです。三十分登った所で、断念して山小屋に戻る人が五人出ました。真っ暗な中、小さな懐中電灯を頼りに、険しい岩登りを二時間ほどすると、再び火山灰と石のジグザグ道となりました。標高は既に三千四百メートルを越えています。酸素がうすくなり、呼吸がつらくなってきます。五分登ってはチョット休憩といった具合にだんだん、足の運びがにぶくなってきます。九合目から頂上までは、一分登っては休憩という有様です。私がようやく頂上まぎわにたどり着いたとき、先に頂上を極めた青年会のメンバーやツアーの人達が声援を送ってくれました。山頂には頂上の印の石板がありました。声援に迎えられ石板を踏み越えたとき、なんとも言えない充実感をかみしめました。「やったぞー」という感じです。結局ツアーのメンバー三十七人中、十九人が登頂することができました。

     ご来光は雲に隠れてはっきりとは見えませんでしたが、ご来光よりも何よりも頂上にたどり着いたというだけで、一人興奮していました。頂上では、うどん一杯八百円を食べました。正直な話、つゆは美味しかったですが、麺は今一つという感じでした。富士山の頂上ではお湯の沸騰点が低いので、そのせいもあったのかも知れません。頂上に公衆電話があったので、女房に報告すると、朝の五時前でしたが、大変喜んでくれました。一時間ほど頂上で休憩してから下山しました。吉田山下山道は、小つぶの火山灰でザクザクと、踵に力を入れて、リズミカルに下りることができます。これは楽だナーと思っていると、しだいに膝が痛くなり、昔ころんだ古傷がうずいてきました。半分位下った所で、同じツアーに参加している二人の若い女性が立往生しています。様子を見ると、一人の女性の登山靴の爪先が破れてしまい、足がすっかり飛び出ているのです。

     ここでモッちゃんと堀川先生の活躍が始まります。堀川先生のリュックは魔法のリュックで、次々と色々な物が出てきます。以前、モッちゃんが突き出た岩に額をぶつけ血が出たときには、瞬時にトイレットペーパーとサビオが出てきました。富士山のトイレは垂れ流しですので、ティッシュペーパーは駄目で、雨に溶けるトイレットペーパーが必需品なのです。今回は、荷造り用のひもと、布製のガムテープとハサミが出てきました。モッちゃんと堀川先生は馴れた手付きで、女の子の靴をガムテープでぐるぐると巻き、靴下をかぶせてヒモでしばり、足と靴を固定してできあがりです。見ていた添乗員も感心していました。やがて彼女のもう片方の靴も破れそうになったので、二人は同じように手速く応急処置をしました。結果、彼女の靴は下山までちゃんと持ちました。

     今度は、一人の若い女性が足を引きずって歩いています。二人は「大丈夫かい」と声を掛けたり、リュックを持ってあげたり、気遣いながら彼女と同じペースで歩いています。私も同じペースで歩きましたが、足が痛かったので助かりました。最後に下山したのが私たちでした。

     聞けば、堀川先生は山形の月山を毎年登っているそうで、山登りに慣れている方だったのです。皆に気を配り、とても優しくしてくれました。

     下山者や登って来る人と出会うと、皆挨拶をしたり、声を掛け合ったりします。登山をすると、堀川先生のように、皆に優しくなれるような気がします。

     我々が遅れて下山していると、見送り役に回った尾立先生が心配して、はるばる私たちを迎えに来てくれました。とても嬉しかったです。見送り組の二人もそれなりに楽しくやっていたようです。途中リタイヤの人達とも合流して、全員無事下山が終了しました。登り下りで合計十四時間歩きました。早い人は、八時間位で下山するそうです。

     ツアーの締めくくりとして、山中湖温泉で入浴しましたが、体重計に乗ってビックリ!
    九十七キロの体重が、なんと九十一キロになっているのです。汗で六キロも痩せていたのです。

     しかし喜んだのもつかの間、二十一日間の禁酒願掛けも終わり、祝盃やら、ツアーの一行と別れて青年会独自の一泊旅行を終えたときには、元の九十七キロの体重に戻っていました。

     富士登山を無事終え、自分自身に活力が戻って来たような、体力にとても自信がついたような気になりました。階段をのぼって息切れしても、俺は富士山に登ったんだからと、自分自身を励ましています。



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