ミニ講話 宮司のいい話
NO.168  信仰に生きるとは
     世の中には色々な宗教があります。そして、様々な形で、様々な人達が信仰をされています。

     自分の信仰を持つことはたやすいことですが、信仰に生きるということは容易なことではありません。

     どのような宗教であれ、真の宗教であれば人を不幸に導くものはありません。それぞれに幸福に生きるための道を教えています。

     御利益信仰という言葉があります。これは、信仰することによって御利益がもたらされると信じ、良いことが起きることを前提に信じる信仰です。

     ですから、良いことが起きなかったり、変わらなかったり、逆に悪くなったりすると、「信仰しているのに、何で良くならないんだろう、何でこんなに苦労するんだろう、何で自分ばかりこんなに苦しまなければならないんだろう」と、不平を言ったり、信仰に迷いを生じたりしてしまいます。

     宗教とは、人を幸福に導いてくれるものですから、御利益信仰は本当の信仰とはいえません。

     本当の信仰に生きるとはどのようなことだと思いますか。

     どんな人にも親がいます。そして、遠く続いたご先祖様がいます。今ある私たちの体は、親から、そしてご先祖様から連綿として受け継がれてきたものです。ですから、我々には遠いご先祖様から受け継いだ縁・つながりがあります。その縁を背負って生きていかなければなりません。良きことの縁もありますし、悪きことの縁もあります。すべてご先祖様からのつながりとして受け止めていかなければなりません。

     ご先祖様が良い縁を積んでいれば、良いつながりのもとに生まれてきます。ご先祖様が悪い縁を積んでいれば、悪いつながりのもとに生まれてきます。悪いつながりのもとに生まれ合わせた時に苦労が多いのです。良いつながりのもとに生まれ合わせられた人は苦労が少ないのです。

     人それぞれに顔形が違うように、縁も人それぞれに違ってきます。兄弟姉妹であっても受ける縁が違ってきます。

     「一所懸命信仰しているのに、どうしてこんなに悪いことが続くんだろう、どうしてこんなに自分ばっかり苦労するんだろう」と思う人は、本当の信仰に生きていない人です。

     本当の信仰に生きるとは、自分の境遇に不満を持つのではなく、この縁を受けさせてもらうことが、神から自分に与わった試練であると受け止め、祖先からのつながりが自分に与えられたということは、自分だからこそ悪い縁をたち切ることができるのだから、神様が与えてくださったのだと、喜んで苦労を受け止め、感謝のできる人こそ真の信仰者です。

     そうした信仰があればこそ、どんな苦しみにも耐えて乗り切っていくことができ、できざることができてくるという不思議が起こり、悪い縁を断ち切ることができるのです。

     徳は誰が積むのではなく、自分が積まなければなりません。感謝の心が徳を生み出します。自分がだんだん徳を積んでいく時、自分の時代にその徳が返ってくるとは限らなくても、次の時代には必ずその徳が返ってきて、子孫が幸せになれるのです。

     真の信仰は苦しいものです。けれどもその信仰で苦労を乗り越えていく人は、必ずや幸せを得るものであると信じ、毎日を神様のみ心に合わせて生きることこそ真の信仰に生きる姿であろうと思います。

     良き縁のもとに生まれ合わせられた人は、苦労が少ないかも知れません。しかし、平穏な毎日の生活を当たり前と思って過ごしている中には、感謝の心が薄らいでしまいます。感謝の心がなくなれば、いつしかそれ以上を求め、不平や不満の心がわき出てきます。

     ですから、どんな些細なことでも、心の中で拡大して喜べる自分になりましょう。小さなことでも大きく感謝できる自分になりましょう。

     そうした感謝の心、喜びの心からは油断が生じてきません。油断の無い心は、良きつながりをそのまま子孫に伝えていくことができるのです。

     どんな境遇にいても、「ああ神様のお陰だ」と、感謝のできる人こそ、真に信仰のある人なのです。



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