ミニ講話 宮司のいい話
NO.167  感謝の心
     感謝の心を言葉にすると「ありがとう」となります。日本語の中で一番美しい言葉だと思います。「ありがとう」を漢字で書くと、「有り難う」。有ることが難しいと書きます。つまり、滅多にない、稀であるという意味です。滅多にないこと、稀にしかないことだから尊いと思い、幸せに思い、嬉しく思うのです。当たり前のこと、普通のこと、当然のことと思う心からは感謝の心は生まれてきません。私たちは自分の尺度で、当たり前のこと、滅多にないことと振り分けて感謝をしたり、しなかったりします。

     しかし、世の中に当たり前のことが本当にあるのでしょうか。一所懸命働いているのだから給料をもらえるのが当たり前と思っていても、突然会社が倒産してしまうことがあります。夜寝たら朝が来て起きるのが当たり前と思っていても、突然の病気に襲われて寝たきりになってしまうこともあります。自分は若いし、健康だし、元気で暮らせるのが当たり前と思っていても、事故で怪我をしてしまうことだってあるのです。女房も子どもも親も自分も皆元気だから、明日も元気に暮らせるだろうと思っていても、先のことは誰にも保証できません。そうした、当たり前ではない中に生活をしているのに、私たちは多くのことを当たり前と錯覚して生活しているのではないでしょうか。

     親がいるから自分が生まれたのは当たり前。頼みもしないのになぜ勝手に生んだと、憎まれ口を利く子どもがいます。しかし、親から自分が生まれてきたことは決して当たり前のことではありません。受精をするとき、母親の卵子一つに対して、父親の精子は六千万から一億の数があり、その中のたった一つが卵子と結合して生まれてきたのです。宝くじ一等が当たる数十倍の確立です。もし他の精子が先に受精していれば、自分は生まれてこなかったのです。一億の中から勝ち残った自分であると思えば、決して親から生まれてきたことが当然でもなければ当たり前のことでもなく、とても稀なことなのです。そして、親は自分の子どもを選んで身ごもることはできないのです。親子というのは、一億の中のたった一つの出会いなのです。我々の人生は、この稀で貴重な出会いを土台として始まっているのです。

     大自然の時間の流れから見れば我々の人生の時間は、川に流れる水の泡粒と同じです。アッと言う間に消えてしまいます。そうした短い尊い時間にめぐり会うことのできた人々との出会いは、何と素晴らしく有り難いことではないでしょうか。瞬時に消えていく泡粒の中でめぐり会った貴重な出会いなのです。そう思えば、気の合う人、合わない人、好きな人、嫌いな人との出会いもすべて共に泡粒の中に生きる仲間と思えば、いとおしく思え人生が楽しくなってきます。有り難きことの中に自分が今生きている、いや生かされているということへの感謝の心を持つことが、今自分が背負っているすべての悩み苦しみを解消するカギとなると思います。感謝の心で物事を見ると、前向きの考えが出てきます。

     人生には何ひとつ当たり前のことはありません。すべてが稀なことのつながりです。泡粒のような短い人生でもこの世に生を受けた以上、次の世代へ何かを残して死んでいきたいと願うのが私たちの自然な心だと思います。

     一億の中から選ばれた貴重なめぐり合わせによって生まれ出た私たちです。無駄な人は誰もいません。有り難きことに感謝して、自分なりに一所懸命生きて次の世代に何かを残せるよう、日々感謝の心で暮らしましょう。


講話リストに戻る

←前のお話    次のお話→

札幌八幡宮では、最新の講話を宮司自ら朗読した、
テレホン講話“菊池宮司のいい話し”をご用意しております。
みなさま是非お気軽にご利用ください。 見本の音声はこちら(約5分間)
道内の方:0120-371-874 道外の方:011-377-1874

また、札幌八幡宮社殿にて月例講話会も実施いたしております。
毎月10日午後時より行っておりますので、
どなたでもお気軽にお越し下さい。(無料)



【ホームに戻る】